--
ホノラリーは、ベスバのクラブからスタートしたと伺っています。
秋山(以下、敬称略)
そうです。そのまま「ホノラリー」というvespaのクラブが前身です。
100人位メンバーがいました。
--
最近では、vespaのクラブというのは沢山ありますし、vespaも多く見かけますが、当時vespaに乗るというのは、どういうことだったんですか。
秋山
大人からはこ洒落たヤンキーと同じように見えたようです。(笑)
でも、とても目立ちましたよ。
クラブ ホノラリーの設立は1979年に大学生のクラブ兼学生企業として発足しました。その当時というのは、今みたいに若い人達それぞれが、ぱっと見てキャラクターがはっきりわかるような時代ではなかったんですね。個性を外に向かって表現する人は少数でした。
Vespaはほとんど走っていませんでしたから、Vespaに乗ること自体が自己主張になっていたのです。 私たちのクラブは、「HONORARY
SPECIAL VESPA TEAM」というエンブレムを付けて走っていました。(笑)
--
vespaに乗り始めたのは、モッズムーブメントの影響だったんですか。
秋山
いえ、私たちはモッスブームよりももっと前にクラブを設立しています。映画「アメリカン グラフィティ」にVespaが出てくるのですが、その影響が大きかったですね。モッズはイギリスですが、私たちはアメリカを経由してVespaに触れたということです。
映画「ローマの休日」にもVespaが登場しますが、あそこまで遡らないんですね。グレゴリー・ペックがオードリーを乗せてVespaで走ることに現実味を見出せなかったと言いますか。(笑) 私たち昭和30年代生まれは、アメリカへの憧れが強い世代だと思います。
--
販売するようになった経緯は。
秋山
クラブ内では、趣味とはいえ、かなり自分達でいじったりしており、技術もありましたので、クラブ内外でVespaの販売も既に行っていました。
また、各大学のサークル等のユニホーム(スタジアムジャンパー等)製作や、ダンスパーティー、ツーリング、旅行等も行っていましたので、このクラブ時代に培ってきたことを、将来「形」にしようと思ったのが最大のきっかけです。
当時のVespaは、今よりもっと趣味性の高い、お金持ちの乗り物でした。私が当時16歳の頃、Vespaを購入しに行ったところ、「ボクには無理」、「ガキの乗り物じゃない」とたしなめられたことを憶えています。
でも、一方で私のような若い世代でも乗りたいと思っている人も沢山いるのはわかっていましたので、そういう人たちのために、Vespaの新しい乗り方を提案したい、という私たちの思いを「形」にすべく、クラブの中心メンバー11人で1985年に株式会社ホノラリーとして会社登記致しました。
--
すぐに軌道に乗りましたか。
秋山
当時はVespaのビンテージモデル(50S,100,ET3)の生産が既に終了していたのと、Vespa PKという当時の新しいモデルはあまり人気がなかったこともあり、私たちがレストアしたビンテージモデルは、年に相当な台数が売れました。
それまでとは違って、Vespaのボディを大胆に黄色や水色などの明るいカラーリングにしたことがよかったのでしょうか、全国から、「あの黄色いVespaを買いたい」との反響が毎日あったことを憶えています。 丁度その頃、Vespaの総輸入代理店の成川商会さんもVespa
Vintageの特注生産、輸入開始をしたこともあって、私たちもその後、新車の販売に力を入れ、Vespa Vintageのブームに火がつきました。 |